連想・・「パリの空気」

2011年9月23日(金)
今朝の「クラインの壺」の写真を見ながら、またまた「あれに似てるかな」と思いついたのがこれ。

「パリの空気50cc」マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887年7月28日 - 1968年10月2日)

現代アートの父といわれるデュシャン。当時のトンデモ美術を次々発表していた彼が、パリからアメリカに行くときに、薬局でガラスアンプルを購入し中身(生理食塩水)を捨てた後 口をふさいだものがこれ。
中に入ったパリの空気が土産だと、アメリカの金持ちのパトロンに渡したというアート。
言い訳なんかつけなくっても、かっこいい。

関係ないけど、昔の医療器具ってどれも美しくてぞくっとします。
今のポリエチレンの点滴の、くたっとなった袋を見ると、なんかへらへらで情けない・・あ、これは勝手な感想です。念のため(笑)

クラインの壷

2011年9月23日(金)

何の役に立たないのだけど、持っていてとても嬉しいものってあります。
クラインの壺です。

・・ガラスの壷で、不思議なふしぎな形をしています。

外が中に、中が外に繋がっていて、シェークスピアの魔女の呪文みたいです



メビウスの帯・クラインの壺ですよね、とスタッフ。

こいつも、お彼岸の柔らかい日差しを浴びて、庭先で嬉しそうに震えてます。

一人でこっそり持っておきたい気もしますが、今日の午後から、ミュゼップにも置きます。

これでお酒を飲んだら楽しいかも!

少年の冒険

2011年9月17日(土)
今日、ミュゼップで石を買ってくれたK君。
「どこから来たの?」などと気軽に聞いてみてびっくり!
小学6年生にして、たった一人で桑名(三重県)から、とことこと新幹線に乗ってここ京大博物館にやってきたんですって!ひゃー、しっかりしすぎ!

礼儀正しいし、はきはきしてるし、すっかり「土曜・子ども博物館」コーナーの大学院生のおにいさんやおねえさんスタッフの人気者になってました。
「今日は1日、ここ(博物館)で過ごすつもりでしたから」とK君の背中の大きなリュックにはお弁当が。院生のお姉さん達が学生食堂に行くのに おいでおいでされて、ちょっと照れながらも素直に一緒にランチしにいきました。

学食で「子ども大好き」館長にも会ったらしい。
館長からおっきな夢をプレゼントされたかな。

さて無事に帰れたかな、彼にとって楽しい1日だったらいいなぁ。
また、何度も来てね!


でも、子ども時代は短いんだから、ぽわわ〜んと夢見てて、いまのうちにいっぱいとんでもないことしたり、迷ったり泣いたり、ワガママいったりして、大人を困らせてもいいんだよ。

埃及と書いて「  」と読む

2011年9月15日(木)
行く夏を惜しむうちに、来月からの企画展の予告が博物館に張り出されました。
10月19日(水)〜開催です。

「埃及考古」・・・はい、エジプト考古展です。
どうしてこの字がエジプトと読むのか、一度調べてみようと思いながら・・・

京大の考古学はどのように始まったか、当時の「世界の先生」だった大英帝国と日本の学者との厚い信頼関係があってこそ、学問の歴史は始まった・・というのが、その証拠の「モノ」が語りだす展覧会です。

図録も着々と制作中です。
お楽しみに!

懇親会

2011年9月14日(水)

先日、花山天文台で福島の小学生たちのサマーキャンプのお手伝い(深川和美さんが歌を歌い、私はスイカを切った)をしたのですが、
その一環で、京都の学校の先生達が福島に連続で応援に行ってたそうで、その懇親+全体まとめ会がありました。

学校の先生とスクールカウンセラーの人が組んで、6人が1グループで各5日間ずつ、15グループが交代して福島の学校に。つまり、一ヵ月半、絶え間なく、全部で100人近くの先生方が応援に行ったそうです。

一言ずつしか感想を聞けませんでしたが、明るい話をきけば聞くほど、胸に仕舞ったものもあるのだろうな、と感じました。
縁の下の力持ちというのか、こんなに頑張っている人々もおられるんですね。
普段から子どもにかかわっている人達だから、これからも京都と福島のさいわいに力を尽くされますように。

月はくまなきを

2011年9月13日(火)
昨日が中秋の名月、今日は十六夜。一昨日も昨日もすっかり晴れてお月様はくっきり。

月は隈なきをのみ、見るものかは」(きれいに見える満月だけがいいんじゃないよ)と、吉田神社でお馴染みの吉田兼好さんは徒然草で言ってはります。
ま、それはそれとして、やはり、きりっとした満月の姿は感嘆に値します。
冴え渡った月を見ていると、すーっとまわりのざわめきが遠くなって静かに思えますね。


雪月花というけれど、雪も月も花も、共通しているのは「無音」。
ここに、日本人の美に対する「こころ」の秘密があるに違いない、と睨んでます。

さて、先週末でおわった「花の研究史展」、
同時に花の季節も過ぎたなぁ・・・と思いながら、ちょっと寂しい。
月夜には寂しさが似合うのかも。ぽんぽこぽん。
あれ・・。ぽんぽん。
そういえば證誠寺のタヌキも月夜にうかれて踊ってますな。
月の魔力は一筋縄ではいきません。ぽこぽん

吉田神社

2011年9月
京大周辺の名所、というと・・「吉田神社」。
京大の本部吉田キャンパスを二分して吉田神社の参道が走ります。

二月の節分では、京都の町の鬼門の方角なので、昔から大々的な鬼やらいの祭が行われるし、
歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」の「車引」という華やかで形のきれいな演目は吉田神社での話だし、

徒然草の吉田兼好さんは、この吉田家の人なんですって。

吉田山の上には三高の寮歌「くれない萌ゆる」の歌碑があり
吉田神社の社家町の一角には、東福寺や松尾大社などの庭園を造った名庭園師の重森三玲さんの自宅だったおうち(今は重森三玲庭園美術館)もあり、
「鴨川ホルモー」という万城目学の小説では、思い切り妖しい場所で大笑いした。

そういえば、華道の笹岡流・次期家元の笹岡隆甫さんは京大の建築出身の貴公子のような方ですが、テレビの番組で冬の吉田山に登って、落葉した寒々とした枝を見ながら「枝振りを見るのが楽しいのですよ」と説明されてました。
びっくりしましたけど、建築でいうと、骨組みとか構造というのでしょうか。なるほど、枯れ枝にもそんな楽しみが・・!。

湯川博士と苦楽園

2011年9月3日(土)
台風でお休みになったので、実家の様子でも見に行こうかと、苦楽園の天気予報を見ているうちにはまってしまいました。京大の誇るノーベル賞科学者の1人湯川博士は苦楽園に住んでいて、中間子理論を生み出したとか。あらあら。

苦楽園ってこんなところです。http://kusunoki.nishi.or.jp/school/kurakue/kurakuen/kurakuen.htm

芦屋から苦楽園行きのバスに乗ると、ぐるっとお山をめぐるのですがそこはみな広いお屋敷ばかり。おもわず「ここに住みたい!」と叫んでしまうほど。でも今はやや古びて、ひっそり。古き良き栄華の時代の残照を放っています。でも、いいんですねぇ、それも。

京大博物館で湯川朝永展覧会をしたとき、湯川博士の自伝「旅人」を読んだのですが、この「旅人」マップをサイトで発見。旅人という意味はともかく、とにかく湯川博士はよく引越されてますね。それを丹念に地図で示しています。おもしろい。
http://bit.ly/9ooczO (但し、推測なので不正確な場合もあるらしい)




ところで、「旅人」に湯川博士が小さい頃住んでいた京極小学校の近く、寺の境内の「閻魔堂」で遊んだとも書かれてますが、私が密かに名付けてる閻魔堂Jr.がこの写真。


そんなわけで、思わず、超偉い方のゆかりの地、苦楽園と京都市上京区、「ここ知ってる、知ってる」を連発してしまった台風休みの日。




台風のため9/3は休館

2011年9月2日(金)
さっき決定されました、
大型台風接近のため、明日9月3日(土)は博物館は「臨時休館」と決まりました!

こんなことは滅多にありませんが、休みになって、なんとなく嬉しい。小学生なみ(笑)。

折角、明日(土)に、博物館に来ようとおもっていた方、ごめんなさい!
ん?タイフーンを連れてきたのはあなたかも・・(笑)

9月4日(日)は ちゃんとやってます(多分)ので、お待ちしていま〜す。

ブランクーシ「無限柱」



2011年8月31日
前の写真のモニュメント、どっかで見たことが?と考えてました。
思い出しました、ブランクーシの「無限柱」。
コンスタンティン・ブランクーシはルーマニア生まれ、ミニマル・アートの先駆者。1876-1957。1904年〜パリで活動、デュシャンやマン・レイとも交流があり、イサム・ノグチも助手として影響を受けたという人です。
この「無限柱」は戦死者慰霊碑で、正式名を「「終わることなき感謝の柱、英雄たちの記念碑」、鉄製で高さ約30m。どこで切っても本質を損なわない特質を持っている・・
すごいですね、これ、単純で無限。