2011年6月4日(土)
ある会合で、閉館ぎりぎりに国立民族学博物館(みんぱく)の企画展「ウメサオタダオ展」。
有名な「太陽の塔」は愛嬌があって好きです。
(あ、みんぱくは、大阪万博跡地の万博公園の中に建てられています)
その顔が隠れるほど、木が茂っていました。
1970年に大阪万博から40年ですからねぇ。
梅棹忠夫さんは、京大人文科学研究所で勤められたあと、みんぱくの館長に。
今西錦司さんなどと山岳会、探検大学といわれる時代を形作った一人。
だから勿論、京大博物館とも深い関係があります。ミューズラボなど映像に映っていることもあるし、文化人類学や社会学、霊長類研究とも深いかかわりがあります。
早くに失明、「夜はまだ明けぬか」という闇の中での叫びも封じ込めて、
失明後もたくさんの本を出版。
去年なくなられるまで、まさに「知の巨人」の一人として、先駆的な提言をし続けてこられた。私の感覚では社会より50年位早い。そのくらい先を見通していた人。インターネットのような社会も提言していました。
学生時代から、なんとなく周辺をうろうろしていましたが
こうやって、梅棹さんの全人生の年表を駆け抜けて拝見すると、ああ、あのときは随分お年かとおもったのに、まだ54歳でいらした、とか、昔見えなかったことが改めて見える気がしました。
山にばっかり行って、中学を3年も留年した、とか今では考えられないですね。
これくらい社会の懐がふかくないと、「巨人」はでてこられまい。
あえていいます。
でも、やっぱりウメサオタダオを乗り越える人が出てきて欲しい。
前を向いて進まないと!と思いました。
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