医学部旧解剖学教室・紀行

2012年11月10日(土)
ホームカミングデーの続き・・学内見学。医学部の構内は滅多に入らない。なんとなく気後れがする。そんな中、この「これなら懐かしい」感満載の木造の建物、かなり朽ちかけ。これが旧解剖学教室。周囲を見渡すとみな新しいしゅっとしたビルばかり。


 中に入ると堂々としたイスの並ぶ大教室。

米国ANSONIA社の時計。
1854年設立、一世を風靡したが、1880年火災に遭い、1929年帝政ロシアへ売却、工場は閉鎖されたという。今でもアンティーク時計として人気があるようです。



 教会を思わせる階段教室のイスの座面は半分に折れる、机も半分にあがる。きっと「起立、礼、着席」か、明治時代は、何かに向かって全員敬礼をしたからか。
ところで、今の学生は「起立、礼、着席」などするのだろうか?

黒板の横には愛宕山の「火廼要慎」のお札が。私が学生時代にも下宿の台所にも、実験室にもどこにも貼ってあったものだ。

 黒板の横には、小さな手洗い。教官がチョークで汚れた手を洗ったか。解剖教室だから・・というには小さい。

そして「火廼要慎」の壁の下にはこんなものが・・

手回し式の巻き上げ機。なんの?・・そのワイヤーの先はこれ。


最新式のスクリーンのカーテンを開閉するためのもののようだが、ボロボロの姿。


 外から見えた煙突は、シャレでなく暖房器具。そして、この広い教室の最後列に2箇所、その「暖房」はあった。これ、「柱」ではなくて、煙突のトンネル。穴から暖気が入ったことだろうが、煙ももくもく?(笑)。それより、大教室のしかも一番上の段の端っこにあっていかほど暖かさがましただろう。いやいや、昔の学生さんは身体が鍛えられてたかな。



窓も塗装は剥げ、どこからか入った枯れ葉が積もっていた。
この中に学生たちが真剣な顔で勉強していたころ、この窓の外の風景はどんなだったことか。

さて、この「解剖学教室」、古きを温ね、新しきを知る、ということで、リニューアルして教室になるそうです。暖かみと、真摯さと、それらの歴史を充分感じられる教室になりますように!

長いレポート終わりです。

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